アレルギーっ子ママで天使ママのつれづれ日記    卵・乳除去コピー給食(小学校)と、卵・乳・魚類除去コピー給食(幼稚園)の2種類を頑張り中 
炊飯器が壊れた
2009年03月19日 (木) | 編集 |
ここんとこずっと、炊飯器の内蓋の「外れるべきではない部分」が外れてしまい、無理やりはめ込んで、だましだまし使っていたのですが…。

昨日、完全にイカレてしまいました。

というわけで、急遽鍋で炊いたのです。
ご飯。


恥ずかしながら、鍋でご飯を炊くのは、中学の調理実習以来。
炊けるかどうか心配しつつ、何とかたけたのですが。


白米が、うまい!


やっぱり、鍋で炊くと違いますね~~~~。

別に特別いい鍋じゃないです。
普通のステンレス鍋。
でも、炊飯器で炊くのとは一味違って、おいしかったです。

内蓋だけ購入することが出来るか、炊飯器を買い換えるか、この連休に大型電気店に足を運んで考えようと思っていますが。

それまでの間、鍋で炊くご飯を楽しもうと思っています♪
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成長してる?
2009年03月19日 (木) | 編集 |
昨日で年中さんのコピー給食が終了。
今朝、修了式で、午前保育でおやつが出るので、サトワカさんのゆきひかり米粉クッキーを焼いて持たせて、全ての代替が修了。


最近、コピー給食の記事をアップしなくなりました。
写真だけは撮りためてるんだけどね。

コピーし始めて、1年半以上(年少の7月半ばまでは乳・卵用アレルギー対応給食を食べていたため)。
新たなメニューが出てくることもほとんど無くなり、手順が頭に入ってきたこと、無理に似せようと思わなくなったことなどで、以前より「コピーが大変!!」という感じではなくなってきました。

それでも、休みに入り、完全にコピーから離れられると思うと、ものすごく開放感があります。


よく、「子供が休みに入ると大変で…」という意見があるけど、そういう感じ、全然無い。
ビバ長期休暇♪
私にとっても長期休暇は心と頭を休ませられる時間です。


これ、よく考えたら、幸せなことだなぁって、最近思います。


子供と一緒にいられる時間を、楽しい、幸せって思えるって。


子供と一緒にいられるのって、一生のうちでほんの一時。
長期休暇が憂鬱、なんてばっかり思ってるってやっぱり寂しいような気がする。
一緒にいられて楽しいって思える方が、豊かな時間を過ごせるんじゃないかなって思うんですよ。


そんなことを考えるきっかけになったのはコピー給食。

面倒で、大変で、正直、もう止めたいよー逃げたいよーっていつも思ってるけど、そんなコピー給食が普通に生活していたら見えないものを見せてくれてるのも確かだなぁと思います。



さて、春休み。
子供と一緒のお昼ご飯を、手抜きしながら楽しんで、のんびり過ごしたいなぁとおもいます。
ハートコロッケ
2009年03月19日 (木) | 編集 |
サトワカさん、コーンフレーク衣でも出来ました。
maru0301.jpg

この記事を拝見して以来、いつか作ろうと思っていたハートコロッケ、先日作ってみました。

この日のコピー給食は、こんなでした。
maru0302.jpg
・コロッケサンド → コロッケ 
   ※パンは園で米パンを出して頂いている
・ハムカツ → 「みんなの食卓」ハムのコーンフレーク衣カツ
・春雨サラダ → ジャガイモ春雨のサラダ アレマヨ使用
・煎り豆腐 → 同左(姫、週1程度ならこの程度は豆腐OKです)
・フリッター → おこめのケーキミックス粉のミニホットケーキ


この日は、なんだかいつもより時間的な余裕があったので、余ったコロッケの具を使ってハートコロッケを作ってみました。

サトワカさんの記事を拝見したとき、「コーンフレーク衣でも出来ますか?」「レンジグリルで焼いても大丈夫ですか?」と質問させて頂き、暖かく丁寧なお返事を頂いたにもかかわらず、1年もたってしまっておりました。
で、コメントの返信で頂いたとおり、フープロで細かく粉砕した(1/3程粉になるまで)コーンフレークをまぶして、薄くオリーブ油を塗ってレンジグリルで焼いてみました。

形を崩すのが不安で、薄くしか衣を着けなかったのでうっすら中身が見えているのがご愛嬌ではありますが、コーンフレーク衣でもどうやら作れる、というのがわかりました。

今回は上記の写真の2個しか作らなかったので、子供たちの朝ごはんになっておしまいでした。
でも、大好評!

同じコロッケでも、見た目が違うだけで、反応がぜんぜん違う。
姫、大喜びで食べて登園し、帰宅後にも、

「あさたべたハートのコロッケまだある?」

と、聞いてきたほどでした。


サトワカさん、いつも素敵なレシピを、ありがとうございます。
かわいそうはかわいそう?
2009年03月04日 (水) | 編集 |
最近、かわいそうという言葉はなるべく使わないで、っていう風潮がありますね。

これ、よく分かる、っていう部分と、ちょっと共感できないって思う部分があったりします。

私もいわれることがあります。
「かわいそう」

子供たちにマルチ食物アレルギーがある、って言う話題が出ると、えー?「○○も△△も食べられないの?かわいそうに!何食べてるの?」という反応が返ってくる。

以前は、かわいそうに、といわれるたびに、ムキになって除去食のおいしさやら体によいことなどを力説して、かわいそうじゃないよ!と、アピールしてました。

最近は、「ん~、慣れちゃったからな~、あんまりそういう風に考えてなかった。」くらいで流してしまうことが多くなりました。


かわいそう、と言われるのが、何で嫌なのか。


食べられないものがあるのは、かわいそうではないのか。


これ、難しいです。


3歳を過ぎて、アレルギーが悪化し、再度除去になった姫。
以前の好物だったお菓子を見つめて、あれ、おいしかったよね、いつか食べられるようになるかなぁとつぶやくのを見つめるときに、私の心の中に「不憫だ」という気持ちがないとは言えません。

非アレのお友達と一緒に食事をするときに、お友達が自分には食べられないものを注文するのを横目で見ているときの姿も、やっぱり不憫に思えます。


でも、じゃあ彼女が食べているものは、おいしくないか?と聞かれれば、そんなことはない。
食べる喜びがないか?と聞かれても、そんなことはない。


食べられないものがある=かわいそう、ではない。

でも、食べられないものがある=かわいそうではない、でもない。


その両面があるということを置き去りに、「かわいそう」という言葉を安易に連呼されるのは、うれしいことではないのは、確かなのですが。


でも、「かわいそう」という言葉を安易に使わないで、という風潮は、単に新たな「忌み言葉」を増やしているだけなんじゃないかな、という気がするのも確かなのです。


かわいそうに、という言葉を安易に使う人は、その言葉を使うことで「無意識に優位な立場」に立って、自分とは違うものに対して「やさしい差別」をしてしまうことが多い。
「やさしい差別」は「優越感」と「無理解」をもたらすことが多い。
だから、簡単に「かわいそう」と言わないでほしい。

そう思う気持ちは確かにあるのだけれど。

そこまで考えずに「『かわいそう』と言う言葉を使っては<かわいそう>だから」、その言葉は使わないようにしましょうってことにしかなってないんじゃないかな、と思うこともあったりして。


かわいそう、と思う気持ち。
そのなかには、思いやりや、優しさも隠れている。
そんな優しさや思いやりはいらないと思う場面も多いけれど。


誰から、どんな場面で、どんな風に言われるかによっても、すごく受け取り方が変わってしまう言葉で、難しいとは思う。


でも、最近、「かわいそう」と言ってはいけないみたいだから、「かわいそう」と思ってもその言葉は使っちゃいけないのよねー、っていう雰囲気を感じます。
もっと言えば、「かわいそう」って言っちゃだめってことは、「かわいそうだからって気を使う必要もないみたい」ってことになって、本質への理解や気遣いなんかまで無視していいように転化させる人もいるように思えて、ほんと、難しいなあと思う今日この頃なのです。