アレルギーっ子ママで天使ママのつれづれ日記    卵・乳除去コピー給食(小学校)と、卵・乳・魚類除去コピー給食(幼稚園)の2種類を頑張り中 
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うがー
2011年03月29日 (火) | 編集 |
我が家の電子レンジ、ビストロ君が、ビストロ君が!
壊れたー!!!

地震のせい? 寿命??

このブログで検索したところ、購入は2007年10月だったっぽい。

この、電気屋さんが開いてるかどうか分からんときに!
一番使いたい家電が!
壊れたー!!!


いや、皆さん大変なの分かる。
その程度で済んで、何を言ってるの?と言われればそう!
でも、ブルーだ。

うー。
学校が始まるまでに、っていうか給食が始まるまでに、治るか?買い換えられるか?
コピー給食的に死活問題。
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修了式
2011年03月26日 (土) | 編集 |
先日、あの日以来臨時休校となっていた姫の学校で、修了式が行われました。
といっても、9時から10時までのたった一時間。



あの日、姫のクラスは帰りの会の最中でした。



突然襲ってきた揺れに、先生は子供たちには机の下にもぐるように言い、窓ガラスが割れたら、と、カーテンを閉めてからご自分も机の下に入られたそうです。

揺れ始めてしばらくして、バチン!と大きな音がして電気が消え、教室内はかなり暗くなって。

揺れが収まってから、先生の指示で、子供たちはすべての荷物を置いて、小雪が降る中、校庭に避難。
上靴を脱いで、外靴に履き替えようとしていた子達に、脱いでしまった子はそのままはだしで避難!と先生が指示し、そのまま外へと出たそうです。
姫も、靴下はだしで校庭に。

全員の避難が済んだところで、先生が下駄箱へと戻り、順次みんなの外靴を運んできて。

あの日、小雪がちらついている外はかなり寒く。
先生は、みんなが靴をはいた後、余震の合間をついてジャンバーやコートなどの防寒着を教室まで取りに戻ってくださったそうで。

その後は、保護者が迎えに来るまでの間、クラスごとに固まって、みんな頭を抱え、しゃがみこんで余震と寒さと恐怖に耐えていた、と、後から姫の話を聞いてわかりました。

やがて、ランドセルも上靴も学校に置いたままで、各自の親が引き取りにいき順次帰宅した子供たち。

それっきり、ずっと休校でした。
お友達とも、先生とも、お別れもないままで春休みになるのかなと不安になっていたころに、修了式があると連絡があって。


修了式は、土足のままで登校していいとの連絡で、学校が、教室が、どんなに風になっているか心配でしたが。


教室は、先生たちのご尽力でしょう、綺麗に片付き、ロッカー前に散乱していたみんなのランドセルや持ち物は、各自のロッカーに綺麗に収められていたそうです。


学校から、たくさんの荷物を受け取って帰ってきました。
お道具や、体操着、ランドセルには11日に使ったものがそのまま、そのほかに、先生がまとめてくださった1年間の学習の記録と、1年間の思い出としてまとめていただいた1年生で描いた絵など…。

一つ一つ、一人一人に、先生は、どんな思いでまとめて下さったかを思って涙があふれました。
そして、姫がこの絵を描いていたころは、こんな未来が待っているとは誰も思いもしなかったと思えば、さらに涙が止まらなくなり。

本当にいい先生でした。
アレルギーのことにも、もちろんたくさん配慮してくださいました。


11日には、本当は15時ころ先生を訪ねる予定でした。
先生は、終業式前にお楽しみ会を開いてくださる予定で、そのとき姫も食べられるおやつを出してくださるつもりだったのです。
私は、事前に近くのスーパーに売っている姫も食べられるおやつのリストを出していました。
その中で先生が選んだおやつを、もう一度私が目で見て確認し、OKだったら週明けにお楽しみ会で使いますと話してくださっていたのです。

あの日、受け取りに行ったとき、当然ながらそれは無しですね、と話しました。
お互いに、それどころじゃないですよね、と。
そのときは、まだ情報もほとんどなくて、まさかこんなに長期にわたって休校になるという実感はなかったのに。


教室で、先生は、お楽しみ会はできないけれど、と言って、紙皿とおやつをビニールに入れたものを各自に配ってくれて、それをおうちで食べてねと話したそうです。


そして、姫には、空き箱と袋を持たせ、大丈夫だと思うけどお母さんに見せてね、と。


それは、姫がいつも食べているマシュマロと、グミと、リッツ(姫は小麦OKです)でした。


これを、みんなと同じ教室で、一緒に食べられたら、姫はどんなにうれしかっただろう。
みんなと同じおやつを、みんなと一緒に食べると言う経験の少ないアレっ子の思いを、こんなに汲んでくれる先生に受け持ってもらえて、一年生を過ごすことができてどんなにありがたかっただろう。



その先生が、他校に転任することになったそうです。



姫は、教室で泣いたそうです。
女の子全員と、男の子もほとんどが泣いたそうです。

私も正直、何でなの!何でこんなときにこんないい先生を異動させるの!と…、叫びだしたいくらいだけど。


一年生を、こんなに暖かく見守ってくださる先生に見ていただけただけで、よかったんだ、と思うことにしました。

宮城県は、春休みが4月20日ころまで続くようです。
離任式もないそうです。
余震が続く中、学校の耐震を考えれば、仕方ないこととは思います。

でも、何とか早く、すべてが落ち着いて、よい方向に向かってほしい。

祈るように、思っています。


先生からの最後のクラス便りには、すごく力強いメッセージが並んでいました。
言葉の所有権は、先生のものだから、ここに転載はしないですが、たくさん力をもらいました。

この一年、クラス便りはずっとファイルしてきたのですが、そのファイルは、先生がまとめてくださった学習の記録や、思い出と題された絵を綴じた物と一緒に、姫に一生持っていてもらいたいです。
節水時の入浴
2011年03月23日 (水) | 編集 |
ここの所落ち着いていた余震、昨夜から結構強めに来てる気がします。
みなさままだまだご注意ください。

緊急地震速報に慣れてしまうこと、震度3くらいならあわてなくなっちゃったと言う人、それは危険だそうです。
震度6強クラスの余震の危険は、消えたわけではないのだと、テレビでも繰り返し伝えてます。

あの地震に耐えられたんだから、と言う油断、自分にもあります。
でも、状況が違えば、違う危険が潜んでいます。
危険回避の心、今だからこそ忘れないで行きたいものだと思います。


さて、下の記事はとりあえず保留。
書く余裕がない、というのもあります。
それよりもっと伝えたいことがあると言うのも。

だらだら個人ブログです。
待ってる方もいないとは思うけど、一応ご容赦を。


さて。

アレっ子・アトピっ子。
入浴できないと、肌状態がかなり悪化します。

このあたりは水が出ないまま、既に10日以上。

ぼーずはなんどかあちこちにひどい掻き壊しを作りました。
手持ちの薬で何とか乗り切りつつありますが、やはり入浴は必要です。

我が家は震災後3日半ほどで電気は戻りました。
電化住宅なので、水さえ出れば、と思うのですが、どうやら今月中は無理の様子です。

また、別記事を上げますが、宮城県の下水処理場は津波で壊滅状態だそうです。
こちらで水が出るようになったとして、それをそのまま流しては、下流(海沿い)の地域でマンホールから下水があふれ出すなどの被害が出る可能性があるとか。

水は、出るようになっても、流し方に注意が必要なことには変わりありません。
また、節水も必要なことに変わりなく。

というわけで、前置きが長くなりましたが、節水のお風呂の入り方。

ちなみにこれは、お湯を沸かすことができる環境の方向けになります。
ガスボンベが手に入りにくい状況で、これを読む方もいらっしゃるかと思います。
ごめんなさい。

前置きだけで長くなりましたので、折りたたみます。
[続きを読む...]
3月11日 その2
2011年03月18日 (金) | 編集 |

近所の人と一緒に、小走りで学校にたどり着き、一年生のかぶる黄色い帽子を目当てに姫のところにたどり着いたとき、姫は、目を真っ赤にして泣いていました。
人相が変わっていました。
こんな顔をして泣いているのは、今まで見たことがなかった。

姫が私を見つけた瞬間、その顔に張り詰めた糸が切れたように、その場で号泣…。
抱きしめても泣き止まず、でも、そのそばではまだ親御さんが来ていないクラスメートが沢山います。

大丈夫だから、落ち着いて、と、何度も声をかけ、仕舞いにはつい、みんな頑張ってるんだから泣かないの!と、ちょっときつく言ってしまいました。
そんなこといったって、怖いのはわかるのに。

それから、子供たちを連れて家に帰ると、心配した、実家の母の姿がありました。
母の顔を見たら、私もほっとして…。
母は、家族みんながとりあえず無事だと教えてくれました。

家に入ると、玄関の飾り棚においていたガラスの置物が落ちて割れているのが見えました。

食器棚の食器も少し落ちて割れていましたし、あちこちの引き出しが開いていました。
でも、とりあえずすむのに困るような不便はなさそうだとわかりました。

このときは、まだ、止まっていたのは電気だけでした。
水は出ていたし、実家ではガスも出ていたそうです。

とりあえずの割れ物だけを箒とちりとりで片付けて、外に出ると、近所のスーパーは閉めてしまったようでした。
開いているお店を探し、近くのコンビニにたどり着くと、中はすでに大行列。
それでも、なんとか、パックのご飯と、食べられるおやつ、それに単四の電池、ぺヤングのカップやきそばを買い込みました。
ちなみに、卵・乳・魚がNGでも、小麦・大豆が大丈夫なら、この焼きそばは食べられます。
コンタミはありますが。

どんなものでも、非常時に食べられるかどうか原材料を確認するのが癖になっていた自分が、今まさに、非常食としてカップ焼きそばに手を伸ばすことに、現実感を伴わず、今自分が置かれている状況が信じられません。

そして、この瞬間が、なんでもものを手に入れたければ、何時間でも行列に並ばなければならないという今も続く状況の最初の一歩でした。

このとき、携帯のワンセグで、チラッとニュースを見ました。
停電がいつまで続くか分かりませんでしたから、充電がなくなるのが怖くて、ほんの一瞬でしたが。
それでも、大津波警報という信じられない文字と、10m以上、すでに到達、の繰り返されるアナウンスに絶句。

海辺に住む友人たちの顔が次々に脳裏に浮かび、頭がふらふらします。

何度かつなぐたびに、入ってくる情報は、想像を絶するもので体が震えます。

狭いコンビニで、2時間ほど並んだでしょうか。
だんだん暗くなっていく店内、外では吹雪のように雪が舞い、しばらくするとヘリコプターの音がひっきりなしに聞こえはじめました。

次第に、家族から無事を知らせるメールが届き始めました。
通話はぜんぜんだめでした。
171にも、まったくつながりません。
メールも、何度もトライしてつながるときもある、という感じで。

それでも、私もパパも、親兄弟の無事はなんとか確認でき、ほっとしました。
みんな住まいは山よりの高台だったので、津波の不安は少なかったとはいえ、無事を確認すると本当にホッとしました。

コンビニでは、みんな、おとなしく並んでいました。

停電でバーコードを読めなくなったので、店員さんが一人、並んでいる人のかごの中身を一つ一つ調べて回り、値段を確認するので、待ち時間がすごく長かったのです。

周囲の人と「こんなときでも、並ぶ。値段を確認する。やっぱり日本人だね」と、自嘲まじりにつぶやきあいました。
あまりに長い待ち時間に、お客の中から「おつりなんかいらない、万札おいていくからこのまま出してくれ!」という声も上がりましたが、店員さんが、それはできない、こちらも確認が必要なのでと返せば、いらだちながらも並んでいました。

そして、そんなコンビニに、時間で出勤してきたと思しきバイトさんが数人入ってきました。

こんなときでも時間が来ればバイトに来る。

それは、日本人だから、ということとともに、停電で情報が遮断された中で、みんなの意識がまだ地震前の日常の中にい続けていたという証明でもあったんだろうと思います。

少しの電池(単三かと思ったら単四でした…)と、パックのご飯、もち、カップやきそば、おやつなど、なんとか買い物をしました。

ちなみに。
このとき買ったもののうち、停電の最中に口にしたのは焼きそばとおやつだけでした。
停電後には、もちは役に立ったのですが、断水・停電の中ではパックのご飯は意外と使い勝手が悪かったです。
しかも、やきそばは味がきつくて子供たちには辛すぎたようでした。

買い物を終えて外に出たら、もうだいぶ日が傾いて、震災後の最初の夜が、私たちに迫りつつありました。

停電の夜の不安は、まだ、私たちを捕まえてはいませんでした。
けれど、それはもう、本当にすぐそこまで迫っていたのです。
3月11日 その1
2011年03月18日 (金) | 編集 |
あの日。
卒園式を週明けに控えたぼーずの幼稚園は午前保育でした。
私は、ぼーずを12時半ころ、いつものように園バスにお迎えに行きました。

このことを、私は、今とてもありがたく思っています。
あの日、もし、ぼーずの園が普通保育だったなら。
地震発生の時間、ぼーずは園バスの中だったはずですから。


ぼーずの帰宅から、姫の帰宅までのほんのちょっと空いた時間に、私は、ぼーずをつれて、車で15分ほどの大きなショッピングモールへ行きました。

そして、そこで被災しました。


歩いていて、突然耳慣れない音が携帯から鳴りました。
後からわかりましたが、それが緊急地震速報でした。

確認するまもなく、鈍い音を立て縦揺れが始まり。

たまたま外への出口の近くにいたのでそのまま外へとぼーずの手を引いて外へ出たとたんのことでした。


横揺れ、横揺れ、大きく体がうねるようでした。
ぼーずの両手をつかみ、にじるように動いて建物から離れたとき、この世のものとも思えない音を聞きました。

目の前で立体駐車場が、大きくうねりながら揺れています。
その駐車場の金属製の壁が、揺れながら軋みをあげて大きな音を立てています。

ガシャーン!!!ガシャーン!!!ガシャーン!!!
その、耳を貫くような工事現場の真ん中にいるような金属音が、恐怖を駆り立て、いずれ必ず来るといわれていた宮城県沖地震がとうとうきたんだな、と、そのときは思っていました。

駐車場の中のサイドブレーキを引いていなかったと思しき車が、揺れにあわせてじりじりと前に出てくるのが見えます。

振り返れば、今出てきたショッピングモールの外壁が、下から上へ向かって大きくうねりながら揺れています。

治まるか、治まるかと思うと揺り返し、揺れの向きを変えながら、大きな揺れの波は、3度襲ってきたのがわかりました。

自分の住まいも、今いるところも、高台ではあるものの、津波の恐怖が頭をよぎり、同時に原子力発電所は大丈夫か、とも思いました。
その両方の懸念が現実のものにならないでほしいと祈りながら。

手を握るぼーずが無事でも、学校の姫はどうしているか、会社にいるだんなはどうしているか。

目の前の立体駐車場には、自分の車も停めてあります。
もし車がつぶれたら、姫をどうやって迎えに行けばいいのか。

と、揺れにあわせて足元からすぐそばのアスファルトが浮き上がってくるのが見えました。

ボゴン、ボゴン、ボゴン。

地割れへの恐怖に、再びぼーずを両手を握る手に力を込めて、にじるように横に数歩ずれました。

「もうちょっとこっちに、もうちょっとこっちに。大丈夫だから。」

そう言って動きながら、地震の揺れの尋常ではない長さに現実感が遠のいていくような感じがしました。


後から、5分ほども揺れ続けていた、と聞きました。

5分の揺れ。

本当に現実感がもてない長さです。

それでも、永遠とも思う揺れが治まり、周りを見回すと、後ろのモールから呆然とした人々がどんどん外に出てくるのが見えました。
しゃがみこんで泣き出す人、ただ立ち尽くす人、足が震えるのか支えあって歩く人。


みんなが車に乗り込んだら、いつこの駐車場を出られるかわからない。


ぼーずの手を握りしめ、私は早足で車へと向かいました。

余震の恐怖もありました。
でも、最初の揺れを持ちこたえた立体駐車場が、すぐに倒れるとも思われず、かといってずっとそのままかどうかもわからないから、とにかく今動かなければと、ぼーずを引っ張るようにして小走りに車に向かいました。

幸いに、出口のそばに停めていましたから、そのまま渋滞もせずに駐車場を出られました。

ぼーずが、「おとなのひとも、ないてた」とつぶやきました。
バックミラー越しに見ると、目が真っ赤でした。
ぽろぽろと涙がこぼれています。

「こわかった?」と聞くと、無言で頷きます。

「こわかったね。でも、今は泣かないで。お姉ちゃんが、待ってるから。」

そういうと、ぼーずはやはり黙って頷き、手の甲で涙をぬぐっていました。


そこまで見届けて、一般道へ出たとたん、目に飛び込んできたのは明かりの消えた信号機。

余震への不安から、スピードを緩めて走りながら、どうやって交差点を超えようかと途方にくれましたが、案じることはありませんでした。

特に渋滞ということもなく、信号のところでは一定の間隔で、まるで見えない信号機があるかのように、譲り合いながら車が道を通っていきます。
その流れに乗り、周りに合わせて止まったり動いたりしているうちに大きな幹線道路を越えて、自分の家のある団地までは一本道というところまできました。

そこまで来る間にも、ふわっと体が浮くような余震の感覚がありますが、とにかく姫の顔を見るまではというその一念で車を走らせました。

家に着き、近所の人に聞くと、やはり学校ではみんなが緊急災害時の引き取りを待っている様子とのこと。
いつもなら入るはずのメール連絡は届いていません。
この時点で、すでに携帯はつながりにくくなっていました。
第1156回「あなたの節電対策は?」
2011年03月16日 (水) | 編集 |
ご心配くださったかたがた、ありがとうございました。

私もパパも子供たちも無事です。

二人とも元気です。
ぼーずは無邪気ですが、姫は状況がある程度わかっているため、たくさん我慢している様子です。

ライフラインは、電気はおととい戻りました。
水は、いろいろな情報が錯綜し、いつ戻るかわかりませんが。
それでもうちのあたりは高台ということもあり、大きな被害はありません。

日常に色々ありますが、避難所の方を思えば、不満など言えません。
先日までの暗闇生活を思い出せば、今の状況は天国のようです。
余震も、少しずつ治まりつつあるようですが…まだ油断できません。

昨日は静岡でも大きな地震があったようですね。
こちらの被害が大きすぎて、大変な方に手が届かないことになるのが心配です。

宮城でも私のように家にいられる人もいれば、茨城や静岡でも避難所の方もいる。
どうか、大変な人にこそ、救助と支援の手が届きますように。

先日来、停電が収まってからですが、暗くなってから外を見ても、今までとは大きく光景が異なります。
どこの家も、今までのようにあちこちの部屋から明かりが漏れたりはせず、一見、留守宅?と思われるような家ばかりです。
うちもですが、使わない部屋の明かりなんて、もったいなくてつけられません。

電気がつくことが、どんなにありがたいことか。


でも、電気といえば。

東京電力の福島原発の事故、ここにいても恐怖が増します。


確かに、大きな問題だし、このニュースに多くの時間を割く必要もわかります。


でも。

明るい部屋で、沢山のライトを使いながらこの問題を取り上げているマスコミの方々、その東京の電気を、福島の原発は作ってきたということを、どうか忘れないでください。


地震、余震の恐怖の上に、放射能の恐怖にまでおびえるのは、その電気を使っていない私たち東北の人間です。


各局いっせいに、センセーショナルにこの問題を取り上げていらっしゃいますが、全部の局いっせいにではなく、どこかひとつでもいいから、順番に被災地の情報を全国に届けてください。

そして、被災地に、励ましと支援の声を届けてください。

私たちは今、ご近所の方と、励ましあい、支えあって何とか生きています。


励ましの声が届くだけで、今を、今日を、少しでも生きる力がわきます。


たまたま、私は今家にいられて、家族も無事です。
でも、ご近所に、いまだだんなさんと連絡がつかないという方も実際にいるのです。
それでも、そういう方も町内の皆さんと協力して、この状況を乗り切ろうとしていらっしゃるんです。


また、ガソリンのこと。
買いだめに走られている方たちに、どうかお願いです。

我が家もガソリンは残りが1/3程度で、色々な道路で大渋滞していることもあり、動かすのも躊躇して近場を子供の手を引いて、徒歩で歩き回り、何時間も並んで個数制限の上で、なんとか今暮らすために必要な最低限の買い物をしています。

どこのスタンドも手持ちを売り切ったか、緊急車両用に保管することとなり、ごくごく数少ないあいているガソリンスタンドは大行列の大渋滞です。
並んでも買えるかどうかは運しだいなのです。

でも、今ここでガソリンを本当に必要としている人のことを思えば、私はとても並ぶ気にはなれません。


必要としている人。
たとえば、家族が避難所にいるのに引き取りに行きたくてもガソリンがなくていけない人。
余震・停電・断水のために、なけなしのガソリンでお子さんを遠方の親戚に預けて、会いに行きたくてもガソリンがないという人。
ご家族と連絡がつかなくて、最後にいたと思われる場所に探しに行きたいのに…という方。

いっぱいいます。
数え切れないほどです。

そんな人がガソリンの情報を求めてさまよっているのです。

どうか、買いだめに走る方たち、本当に困っている人のことを、ちょっとでいいから考えてください。


節電、節水。

節水といえば、洗面器いっぱいのお湯で、昨日、地震以来初めて髪を洗いました。

シャンプーも、指先に、ほんの一滴落として、あわ立つほどには使わないで。

それでも、さっぱりして、生き返った心地でした。

流した水も違う洗面器に受けて、バケツに移し、そのままトイレのタンクに入れました。

髪を拭いたタオルはレンジで温め、体を拭きました。
お風呂にはまだ入れないけど、本当に気持ちよかった。

たったこれだけで、こんなに違うと思ったら、今まで無駄にした水や電気に心が痛む思いでした。


子供たちも、水や電気のありがたさに気づいたようです。
絶対地震が来るといわれていた地域に住む我が家にはそれなりにストックした飲み水がありました。
だから、今すぐ飲み水に困るわけではありません。

それでも、「お水飲みたい」と言いかけて、私の顔を見て、やっぱりいいと笑う姫に、早く残りの水の量を考えずにたっぷりお水を飲ませてやりたいです。



こんにちは。 トラックバックテーマ担当の水谷です。今日のテーマは「あなたの節電対策は?」です。東北地方太平洋沖地震によって被害を受けられた方々に心よりお見舞い申し上げます。 水谷も、できる限りの節電対策を行おうと思いしばらく寒い日が続きましたが、自宅では暖房を控えました。照明も無駄に使わないように心がけています。節電に関しては、震災の時だけではなくこれからも続けていけたら良いのではないかと水谷は考...
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