アレルギーっ子ママで天使ママのつれづれ日記    卵・乳除去コピー給食(小学校)と、卵・乳・魚類除去コピー給食(幼稚園)の2種類を頑張り中 
津波の爪あと
2011年09月28日 (水) | 編集 |
先日の連休に、仙台空港の近くにあるショッピングモールに行ってきました。
仙台空港は津波の被害を受けたけど、そこから程近いこのショッピングモールまでは、波は来なかった、といえば、地元の人にはわかっちゃうかな。

名取エアリです。

ほんとに、すぐ近くまで波がきたみたいですが、仙台東部道路があったおかげで被害を受けなかったらしく。

震災後、お店が開いてから、時々出かけています。

自宅からは近くはないですが、休日に出かけるのに不便はない距離なので。


震災前は、仙台空港に飛行機を見に行った帰りに寄ったり、その周辺の公園で遊んでから買い物をして帰ったり、時々たずねて楽しんでいました。


震災後は、再オープンしたあとにエアリにだけ遊びに行っていました。


遊びに?

そう、遊びに。


震災があったからって、日常はなくならないし、津波の被害を見物に行くのはおかしいと思うけど、同じ宮城県民として、多少なりとも沿岸部にお金を落としに行く(と言う言葉は嫌いですが)のって意味があると思うし。


普通に、ショッピングモールに遊びに行ってました。


でも先日たずねたとき、久しぶりに仙台空港の屋上デッキが開いたということだったので、初めて、東部道路の向こう側に渡って、空港の方に車を向けました。


空港までの道の間に、見慣れた建物が、津波を受けて崩れているのが見えました。
道はずいぶん片付けられているのでしょうけれど、その分、集められた瓦礫の山がある場所には息を呑むものがありました。

やっぱり、自分の目で見ると、ショックは大きくて。


宮城県は地元、とは言っても、私の住んでいる場所は沿岸ではありません。
でも、だからこそ、その辺りには遊びに行った思い出の場所もたくさんありました。

子供たちをつれて、飛行機の見える小さな公園に何度も行ったし、大きな海浜緑地公園でぼーずも姫もアスレチックで遊んで走り回った。

名取と言えば、私たちにとってはちょっと遠いからこそ楽しい思い出ばかりが集まった場所だったのです。


結局、空港は駐車場に長い列ができていて入れませんでした。
連休で、訪ねてくる人や出かける人が多かったのか、屋上デッキの再オープンに人が集まったのかはわかりませんでしたが。

そのままエアリに向かう気になれなくて、車で、海浜緑地公園に向かいました。

走るごとに、津波の被害が目に刺さります。

個人の家も、公共の建物も、大きな被害を受けたのが、こんなに時間が経っているのに目で見てはっきりわかりました。
窓ガラスのなくなった建物に、後からかけられたものなのか、カーテンだけが翻っているのが見えました。

海の脇の道に入ると、海岸沿いの防潮林は、折れ、倒れ、枯れて茶色に。

波が削ったのか、抜けた木々が押し流したのか、アスファルトがはがれているところもありました。


そして、懐かしい海浜緑地公園の入り口まで来て、その先の道は、行き止まりになっていました。
まだ、片付けていないのでしょう。


なんで、海浜緑地公園までは道路が片付けられていたのか。


それも、はっきりと目で見てわかりました。


何台ものトラックが、瓦礫を運んできています。
そこは、瓦礫置き場になっていました。


瓦礫、と言う言葉も、嫌いです。


元は、みんな、なにもかも、誰かの大切なものだったのに。


そんなあれこれが、山になって積み上げられていました。


防潮林が被害を受けたためでしょう。

積み上げられた山に、砂が吹き付けられていました。


最初のころに運ばれてきたと思われる山には、吹き付けられた砂に雑草がびっしりと生えていました。


それが、時間の経過を、あの日から過ぎた「半年」を感じさせました。


住んでいた人の思いに比べれば、蚊が刺したほどのショックでしかないとは思うものの。


思い出の場所の様変わりが、痛みとなって胸に残っています。


自分にできることは、何だろう。
何かをしなくては。
何かをしたいのに。


できることは少なくて。
でも何かあるはずで。


震災から半年、生活が元に戻っている場所にいるからこそ、忘れてはいけない、忘れてはいけないと、自分に言い聞かせ、これからも、できることを探していきたいと思っています。
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コメント
この記事へのコメント
私も。
震災後、何度か仙台方面に足を運んでいます。
我が家は、仙台港にあるアウトレットに行って、利府で寄り道、長町のモール、というのが定番買い物コースで。

仙台港のアウトレットもね、ぱっと見、変わってなかったのよ。津波が押し寄せた、というのが嘘みたいで。
でも、昼近くなって、浜の方からの異臭と飛び交う蝿に、異変を感じずにはいられませんでした。
それから、利府までの道は、被害を感じさせなかったのだけれど、その途中には、まだ通れない道もあったり、瓦礫置き場もたくさん目にしました。

子どもも、黙って、食い入るようにその光景を見ていたんです。

福島では津波被害のあったところは映像でしか見ていませんが、実母が浜の方に出かける機会があって見たところ、沿岸部はまるで手つかずだった…と言っていました。

絶対に風化させちゃいけないよね。

あの積み上げられた瓦礫に、どれだけの大切な思い出や、日々の生活が詰まっていたんだろう、と思うと本当に切なくて、やりきれないです。

住むところや、大切な家族、仕事や仲間を失った人たちが、今も不安の中で毎日を暮らしていると思うと、もっと早く、一日でも早く、安心して落ち着いた暮らしができるような手助けやサポートができないものか…と歯がゆいような思いにかられます。

あっちもこっちも、いっぺんにできないのはわかるんだけどねー。
福島も早くなんとかしてほしいし。

何年経っても絶対に忘れちゃいけないよね。ほんとに。
書いてくれて、ありがとう。
2011/09/28(Wed) 14:14 | URL  | むう #-[ 編集]
むうさんへ
コメントありがとうございます。

仙台港アウトレット、行ったんですね。
うちはまだ、そちら方面には行けていません。

というのも、実はあの日地震が起こらなかったら、週末出かけるはずだった場所なのです。
1日、地震が起こる日がずれていたら、子供も私たちも、どうなっていたか。

震災が起きた後、電気が戻った後に、子供たちと仙台港アウトレットに押し寄せた津波の映像を見てしまって。
それ以来、特に娘が、あの場所に行くのを極端に怖がるようになってしまいました。

子供たちの気持ちが落ち着くまでは、連れて行けないなぁと思っています。

復興、範囲が広いし被害が大きすぎるし、どうしても時間がかかるのはわかるんだけれど、それにしてもスピードが亀過ぎる気がしますよね。
津波のことも、原発のことも。

何年経っても忘れちゃいけないけど。
人間は絶対に忘れてしまうから。

せめて、直接の子孫には伝え続けていかないとなぁと思います。
みんながそう思えば、たくさんの人に伝わり続けてくれるはず、だよね。
2011/09/29(Thu) 23:47 | URL  | まる #z8Ev11P6[ 編集]
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